「SNSで流れてくる情報を選んでいるつもりが、実は選ばされている……」。そんな違和感を抱いたことはありませんか?
AIの急速な進化により、私たちは指先一つで膨大な情報にアクセスし、自由に選択できる力を手にしました。しかし、私たちが「自分らしい選択」だと思っているその決断は、実は「ナッジ(そっと後押しする)」と呼ばれる社会的な設計によって、知らず知らずのうちに方向づけられているのかもしれません。
情報が溢れる時代の中で、自分なりの判断を保つためには何が必要なのでしょうか。今回は、哲学を専門とする伊藤貴雄教授に、アートや音楽のエピソードを交えながら、自分を客観的に捉え直すための「自存感情」と、情報を自分のものとして使いこなす「編集力」の重要性について聞きました。
ITの進化と共に活用の場が広がっている「ナッジ理論」とは?
編集部:先生は近年、私たちの周囲に溢れるさまざまな情報を“編集する力”の重要性を説いていらっしゃいますが、そのような考えに至った背景や理由をお聞かせください。
伊藤先生:皆さんは「ナッジ(nudge)理論」という言葉をご存じでしょうか。ナッジとは英語で軽くつつく、とか、そっと後押しするという意味の言葉で、「小さなきっかけを与えることで、人々の行動を変える戦略」のことを指します。今は、この理論を活用して、混雑を避けるため、券売機の前に自然と人が一列に並ぶようにするとか、コンビニで塩分控えめの食品を目線の高さに陳列して健康意識を高めるなど、少しでも環境や暮らしが良い方向に進むよう、さまざまな場面で人の行動を自然に導く仕組みが作られているのです。つまり「自分で選択した」と思ったことが、実は環境や情報設計の影響を受けていた……という可能性も十分にあり得るということ。だからこそ私たちは自分にとって何が重要なのかを見つめ直し、与えられた情報の中から自分に必要なものを取捨選択する、自分の判断・行動を「編集する」力が必要だと思うのです。
編集部:自然に「より良い選択」ができるようにするためとはいえ、知らず知らずのうちに他人によって行動を誘導されていると聞くと、何だか少し怖いような気もするのですが…。
伊藤先生:確かに一部でそうした批判があるのも事実ですが、この手法は近年に始まったわけではなく、実は古くから採用されているものです。例えばアートの歴史を振り返ってみましょう。芸術とは人間の「視線」を編集し続けてきたものであり、例えば古代ギリシャの彫刻では黄金分割、ルネサンス期には遠近法、バロック美術では明暗対比といった、人の見え方や感じ方を組み替えるさまざまな表現を採用し、自身の作品の「見せたい部分」に人の視線を自然と導いてきたわけです。そう考えると、芸術家というのは自分の経験や伝えたい想いをありとあらゆる形で表現し、伝える「編集の達人」だったともいえます。
編集部:つまり古代からずっと続いてきた「編集」の歴史が、ナッジ理論の登場やITの発展でさらに加速し、その手法も多彩になってきたということですね。
伊藤先生:今はスマートフォンがありとあらゆるものの「表現のための道具」になっていて、それをほぼ全員が持ち歩き、使いこなしています。そう考えると、現代社会は「誰もがアーティストになれる時代」といえるのかもしれません。自分の行動や想いを切り取り、加工し、発信することも「日常」になっているわけです。でもそうやって発信した「個性」や「自分らしさ」は、世の中の流行や「こうあるべきだ」とされる価値観など、実は他人の誘導によってつくられたものかもしれない。未曾有のインターネット社会の中で、私たちは自分を編集しながら生きているのか、匿名の第三者に編集されながら生きているのかわからない状態になっている……という方もいるかもしれませんね。
情報を上手にアレンジすることで「自分らしさ」が生まれる
伊藤先生:さまざまな情報が溢れている今、すべての人が何かしらの影響を受けながら生きていますから、私はこの地球上にもはや「純粋なオリジナル」を想定することは難しいのではないかと感じています。しかし、人間は自分が触れた・影響を受けたものを組み替え、意味づけ直す「編集力」も持ち合わせています。多様なモノがそれぞれの人の中で組み合わされ、その組み合わせ方の違いによって「自分らしさ」を生み出しているのだと思っています。だから自分とは別のモノ、人から影響を受けることを否定するのではなく、逆にどれくらい、そしてどのような影響を受けてきたのかを振り返ってみてください。それによって自分と世の中との豊かな関係を見直すこともできるのではないかと感じています。
編集部:さまざまな情報を受け入れつつも、自分の中でそれらを「アレンジする力」があれば、自分らしさや個性を失うことはない……ということですね?
伊藤先生:音楽の例でいえば、ベートーヴェンはハイドンやモーツァルト、さらにはバッハなど、先人たちの音楽から多くを学びました。同時代の新しい感性にも敏感だった。しかし彼は、それらを単に模倣したのではなく、自分なりに組み替え、再構成することによって、まったく新しい感情や響きの世界を切り開いていった。つまり、他人から影響を受けることと、個性を失うことは同じではありません。むしろ、さまざまな影響をどう受け止め、どう活かすかによって、「その人にしかできない表現」が生まれてくるのです。ベートーヴェンの音楽もまた、受け継いだものから新たな世界を開いていく力によって支えられているといえるでしょう。
編集部:とはいえ、さまざまな情報を「アレンジする力」とは、その人がもともと持ち合わせている“センス”によって決まりそうで……どのように磨いていけばいいのでしょうか。
伊藤先生:そこで大切になるのが、先ほどもお話しした「自分は今までこういうものに影響を受けてきた」という“気づき”だと思っています。それによって人間はまた、自分の選択とか好みというものを考え、選び直していくことになりますし、それを認識しておくことで、自分に必要なものと不要なものを見分け、取捨選択することもしやすくなるはずです。それに「自分はそんなにパッとアイデアや発想を生み出せない」「自分の感覚に自信が持てない」と思っていても、実は他の人から見れば「すごく面白い!」と感じさせている――といったことも良くあります。人との違いを楽しみ、自分は自分の感覚でいいのだと、そういう気づきも大切だと思います。
他人との違いを楽しみ自分を編集するための「軸」の形成を!
編集部:人との違いを楽しんだり、他人との違いを認めたりするのも「自存感情」につながるのかなと思いますが、現代はその感情が育ちにくい環境にあるのかなとも感じます。
伊藤先生:それは今のSNSの発展が大きく影響しているように思います。自分を上手にアレンジしてきらびやかな部分を発信することが多いSNSは、承認欲求を満たしてくれる一方で「他人との比較」を加速し、「私は他の人よりも優越していたい」「あの人はあんなにキラキラしているのに、自分は……」といった気持ちを生じさせる要因ともなっています。でもこれは完全にテクノロジーによって情報に誘導された状態になっている証拠といえます。だからこそ「これは自分にとって必要だ」「これは不要だ」と取捨選択できる力、自分の判断・行動を編集するための基準となる「軸」を持つことが大切だと思うのです。
編集部:自分の「編集の軸」を作り、それを強固にしていくために、やるべきこと、心がけるべきことがあれば教えてください。
伊藤先生:まずは人と自分との違いを認識しつつも「比較しない」という感覚を身に付けること。先ほどもお話ししましたが、人との違いに優劣をつけるのではなく、その違いを「楽しむ」ようにしてはいかがでしょう。そしてもう一つ、今はAIに問いかければ何でも答えてくれる時代となっていますが、そうした「1対1」の会話に頼り切るのではなく、あえて多くの人と会話し、ディスカッションをする機会を持つこと。AIが提示する応答は、過去の応答や情報環境をもとに生成された結果に過ぎません。やはりAIを便利に活用する一方で、いろんな人と会話やディスカッションを重ね、「こんな見方もあるのか」といった新たな発見を楽しむ時間も大切にして欲しいと思っています。
編集部:AIは便利で、活用の場も広がっていますが、導かれた答えを自分で「選択する」「編集する」意識を持つことが大切なのですね。
伊藤先生:AIはこの数年で人間に近い応答や判断を行える場面を急速に増やしてきました。中にはAIに人生相談をするなど、AIを一人の人間として捉え、「話し相手」として活用している人もいるほどです。でも生きていく中で「たった一人」の人と会話し、その意見ですべての選択、判断を決めることはありませんよね。それと同じでAIを「アドバイザーの一人」だと思ったらいいのではないか。AIから提供される情報や答えは、それが「絶対的なもの」ではなく、あくまでも一つの可能性であり、さまざまな情報をもとに組み立てられた意見でしかありません。自分自身の判断へ引き直すための材料として活用する――というのが最適な付き合い方ではないかと思うのです。
まとめ
ビジネスや学びの場で活用されるだけでなく、今では「人生相談をしている」という人が現れるほど、私たちの生活に深く入り込み、欠かせない存在となっているAI。さまざまな活用事例を聞く度、単純に「スゴイ!」「便利!」と感心していましたが、今回、伊藤先生の「AIから提供される情報をただ受け入れるだけでなく、必要なもの・不要なものを見極め、取捨選択する編集力を磨くことが大事」という言葉に、知らず知らずのうちに情報に流されていたかもしれない自分に気づき、ハッとさせられました。
今まで、すべて自分のことは自分で考え、選択してきたと思っていたけれど、もしかしたら自然とそういう選択をするように誘導されていたかもしれない――と思うと、少し複雑な気持ちもありますが、古代からの美術史を参照しながら「自分らしさとは?」「自分を編集する力とは?」と考える時間は、自分のこれまでを振り返る貴重な機会ともなりました。
SNSのキラキラとした内容の書き込みを見て、自分の毎日と比較して「いいなぁ…」と羨ましがってばかりいましたが、まずは私も「他人と比較しない」ことから、自分らしさの追求を始めてみたいと思います。




