なぜ不登校は急増し続けるのか? 大人が見直すべき「学習観」と子どもの自己受容感を育む「言葉かけ」とは

「勉強はしなくてはいけないもの」「学校は行くべきもの」。私たちは知らず知らずのうちに、そんな「○○せねばならない」「○○すべきである」という指示(命令)的な言葉で、子どもたち、あるいは自分自身をも縛りつけているのではいないでしょうか。

文部科学省の令和6年度の調査では、小中高を合わせた不登校の児童生徒数が約42万人という過去最多を記録しています。この深刻な状況の背景にあるのは、彼らの「やる気」の問題に限定されるものではなく、日本の教育文化に根深く息づく「ねばべき思考」という名の呪縛かもしれません。

「どんなあなたでも、いつでもどこでも、何があってもありのままでいい」。そんな受容的・共感的な言葉かけが育む「自己受容感」こそが、子どもたちが困難をしなやかに乗り越えるための「折れない心」の土台となります。では、大人は日々の「言葉かけ」をどう変えれば、子どものありのままの姿を認め、本来の学びの愉しさを取り戻すことができるのでしょうか。

今回は、長年、現職保育者の乳幼児に対する言葉かけに関する研究を続ける戸田大樹教授にインタビュー。大人が無意識に陥っている「学習観」の盲点や、今日から実践できる「受容・共感の言葉かけ技法」、そしてAI時代だからこそ価値が増す「人の温かさ」を介した教育の本質についてお話を伺いました。

先生は、今、増え続ける不登校の要因の一つとして「自己受容感の低さ」を挙げていらっしゃいますが、そもそも自己受容感とはどのように育まれ、どのような要因で低下してしまうものなのでしょうか?

自己受容感とは、自分の長所も短所も含めて「ありのままの自分を否定せずに受け入れる」という姿勢や態度、その過程を含んだ概念のことです。思うように活躍できなかったり、失敗を繰り返したり……そんな“理想の姿”とはかけ離れた自分であっても、「それが自分なのだ」と認めてあげる。その結果、自己受容感も高まり、自分の価値や存在意義を見出すことができるようになるとされています。この自己受容感を高めるためには、やはり乳幼児のうちから「いつでも、どこでも、何があっても、あなたはあなたのままでいいよ」というメッセージを周りの大人たちが繰り返し一貫して伝えていくことが重要です。反対に、子どもたちを「より良く自分がしつけなければならない」と、指示(命令)的な言葉かけをしてしまうことはないでしょうか。その積み重ね経験こそが、子どもたちの自己受容感を低下させる要因になります。

乳幼児期の言葉かけが、その後の自己受容感の低下、ひいては不登校へとつながる可能性もある……ということですね。ではどのような言葉かけを心がけると、子どもに寄り添うことができるのでしょうか?

子どもたちが騒いでいたり、ケンカしていたりすると、つい「静かにしなさい!」「ダメでしょ!」といった指示(命令)的・否定的な言葉を向けてしまうことがあると思います。しかし、何よりも大切にして欲しいのは、その子が何を考え、どう感じながらその言動をしたのかといった心持ちに隠れた問題の本質を聴く、それに寄り添うということ。「本当の気持ちを教えてくれるかな?」といった優しい語りで、その子の表情や言動の意図を読み取っていきましょう。そして褒める時には「すごいね、かっこいいね!」といったおざなり的な言葉ではなく「あの時の頑張りや工夫があったから、こんなにかっこいいんだね!」と具体的にプロセスを褒めてあげること。嬉しい時も、悲しい時も、子どもたちの複雑で繊細な心持ちをしっかり掴んだうえでの関わり、言葉かけを大切にしていきたいですね。

きちんとしつけなければ……と、子どもたちについつい「○○しなさい!」と怒ってしまうという人も少なくないと思いますが、まずはその意識から、少しずつ解きほぐしていくことが大切なのですね。

今「きちんとしつけなければ」という言葉が出ましたが、実はこの「○○すべき」といった「ねばべき思考」こそ、日本特有の学校教育の文化であり、私たち保護者も、そして保育者や教員がどっぷりと浸かり、植え付けられた思考なのです。学ばなくてはいけない、覚えなくてはいけない……そんな強制的な「ねばべき思考」に染まった生育歴、学習歴をそのまま子どもたちにも反映してしまい、受容・共感とは異なる、指示(命令)的な言葉かけをしてしまうわけです。乳幼児期はスポンジのように物事を吸収し、子どもが著しく成長する時期です。その時期に「○○しなさい」「○○すべき」という「ねばべき思考」の呪縛を受けてしまったら、子どもたちの自己受容感も次第に萎んでいってしまうのではないでしょうか。

保育者・教員の「学習観」の見直しを

確かに、私も子どもの頃から「勉強しなさい」を筆頭に「○○しなさい」「○○するべき」と言われ続けてきた気がします。そして子どもたちにも当然のようにそういう声かけをしてしまっているかもしれません……。

私は今、保育者が乳幼児にかける「言葉かけ」の研究をしていますが、そこで見えてきたのは、大人が持つ「学習観」――つまり「そもそも本来の学びとは何か」これに関する考えや信念が、言葉かけの質を大きく左右しているという事実です。今の大人世代の多くは、「学ばなければならない」「覚えなければならない」という、否定的な「ねばべき思考」に縛られた学校教育を、疑問を抱くことなく受け入れて育ってきました。その結果、それこそが「教育の正解」だと思い込み、子どもに対しても無意識に「こうあらねばならない」と、指示や命令の言葉を投げかけてしまうのです。しかし、本来の学びや遊びは、誰かに強制されるものではなく、時が経つのも忘れながら自ら自由に愉しむもの。すなわち、子どもたちのありのままを認め、秘められた無限の可能性を引き出し、磨き上げてくためには、まず私たち大人自身が、自分の中に根付いた「学習観」を問い直し、アップデートしていく必要があるのではないでしょうか。

私たちの中にある「学習観」というのは、やはり一人ひとりが育ってきた家庭環境や学校生活からの影響を受け、形成されていくものなのでしょうか?

先日、学生や現役の保育者を対象に「あなたの学習観に何が影響を及ぼしていると思いますか」というアンケートを実施したのですが、非常に興味深い結果が得られました。多くの回答者が、日本の社会文化や家庭教育に対して「非常にねばべきだと思う」と回答したのです。つまり、私たちの社会全体に「ねばべき思考」が空気のように蔓延しているということ。その結果、知らず知らずのうちに「~しなければならない」という学習観が刷り込まれやすい環境にあると言えます。しかし、最も深刻なのは、まだほとんどの人がこの「当たり前」に潜む事実に気づいていない点です。さらに、教育の入り口である保育者・教員養成において、こうした個々人の「学習観」を問い直す教育がなかなか行われていないことも、大きな課題だと感じています。

とはいえ、今は保育や教育の現場も成り手不足、早期離職の増加などさまざまな問題を抱えていると聞きます。そのような状況の中で保育者や教員の学習観を変える、育む……というのもなかなか難しい部分があるのではないでしょうか?

確かに、保育者や教員の成り手不足、そして早期離職問題なども深刻になっており、今、教育現場はいくつもの難しい問題を抱えています。しかし、それは私たち養成校にも問題があるのではないかと感じています。どうしても「子どもたちにいかに教えるか」という部分に着目した教育に終始してしまい、「学びとは子どもたちと一緒に楽しみ、おもしろがったり、不思議がったりしていく営み」という教育の本質を伝えきれていない気がするのです。今後、保育者や教員をめざす中高生に向け、そうした部分をアンラーニングすることで、「ねばべき思考」による負のスパイラルから抜け出すきっかけを少なからず掴めるはずです。

経験と勘に頼っていた「声かけ技法」の“見える化”をめざす

先生は保育者や教員をめざす学生に向け、自身の「ねばべき思考」に気づき、より良い言葉かけ技法の習得を促す教材の開発にも取り組んでいるとお聞きしました。

保育や教育の現場には「見て学べ」という曖昧さがあって、確かなスキルや知識を身に付けるには長い年月を要するというケースも少なくありません。そこで今、私が取り組んでいるのがフィードバック型保育ドキュメンテーション教材の開発です。これは、学生が保育動画で保育文脈を捉えながら熟達保育者の言葉かけに関する「教育的意図やタイミング、レパートリー」を解釈、意味づける。それに対して教材が援助の適切さを即時フィードバックするものです。実際の保育現場での言葉かけ事例をもとに、経験や勘という暗黙知ではなく、確かなスキルや知識が形式知として得られます。これにより、「ねばべき思考」ではなく、熟達保育者の「子どもを主体とした本来の学習観」に基づく、質の高い言葉かけに寄与するのではないかと期待しています。

保育の現場でのリアルな事例を題材に学び、考える機会が増えることで、理想的な声かけ技法も身に付きやすいですし、自分の学習観を定期的に見直すこともできますね。

言葉かけに関しては、どうしても経験によって培われた勘やコツに頼っているところがあり、こうした保育者の「暗黙知」をいかに「形式知」にしていくかは、長年の課題でもありました。この知見を教材に落とし込んで保育実習や学校体験活動、ボランティア、アルバイトの際、どういう時にどんな言葉かけをすればいいのか、多忙な現場の保育者に聞かずとも同じレベルの援助の根拠を、即時フィードバックしてもらえるような形に練り上げていくつもりです。そこでやはり重要なカギとなってくるのが何度もお話ししている「学習観」。自分の学習観に基づいて「子どもとはこういう存在だ」と否定的に決めつけてしまうことが、その後の肯定的な言葉かけ技法の組み合わせにも大きく影響しますので、その分析にも取り組んでいきたいですね。

これまで自分の「学習観」について考えたこともありませんでしたが、一人ひとりがこれを考え、見直し、変えていくことが言葉かけ、ひいては不登校児童生徒の減少や社会環境の変化にもつながっていくのですね。

私は、社会全体が持つ「学習観」そのものが変わっていかなければ、子どもたちが教育の過程で「つまずき」を感じる根本的な原因はなくならないと考えています。だからこそ、まずは人生の土台となる乳幼児期の段階から、肯定的な言葉かけを通じて、少しでも「自己受容感」の芽生えを育んでいくことが何より大切なのです。そこには、言葉だけでなく「抱きしめる」といった身体的援助接触である触れ合いを通じた関わり合いも含まれます。こうした「人の温かさ」は、どれほど技術が進歩してもAIには決して取って代われないものです。最先端のテクノロジーが身近にある時代だからこそ、血の通った関わりを積極的に取り入れ、子どもたちの中に「学びや遊びは自由で愉しいものだ」という本来の学習観、ひいては関係論的であり、自己調整をも可能とする学習観を育んでいきたいですね。

まとめ

今回、戸田先生にお話を伺う中で、私自身が日常的に「○○すべきである」「○○せねばならない」という言葉をどれほど無意識に発していたかを知り、ハッとさせられました。子どもの頃から「ねば・べき思考」の文化の中で育ち、それを「当たり前」の学習観として受け入れてきたからこそ、子どもたちに対しても無意識に指示や命令の言葉を投げかけてしまう。先生の指摘は、まさに自分自身の盲点を突かれたような思いがしました。

「その人に合わせた言葉かけの技法を知り、問い直すことは、乳幼児に限らず、大人になってからの友人関係や職場、社会の中で関わる人とのコミュニケーションにも非常に有用」だと話す戸田先生。これから保育者・教育者をめざす方だけでなく、私たち一人ひとりが自分に根付いた学習観、そして普段、周囲の人にどんな言葉を投げかけているかを振り返りながら問い直すこと。その小さな一歩の積み重ねが、家庭や教育現場、ひいては社会全体を「ねばべき思考」から「ありのままの自分を自己受容し、本来の学びを愉しむ」という考え方へと変えていく確かな力になると感じました。

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ページ公開日:2026/07/29

プロフィール

戸田 大樹

教育学部 教授

戸田 大樹

専門分野
保育学
主な学歴・職歴
  • 聖徳大学大学院児童学研究科児童学専攻博士後期課程修了。博士(児童学)。
  • 保育者の乳幼児に対する言葉かけとその語彙に関する実証的研究を通じて、保育者の早期離職対策や不登校児童生徒の減少に尽力。現在、熟達保育者の言葉かけ技法や「学習観」の転換を意図した保育者育成プログラムの開発にも精力的に取り組んでいる。